『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』について

どこか世界に対して(大なり小なり)フィルターを一枚挟んでいる(世界にコミットしきれていない)人物ばかりが登場する。岩下(田中哲司)は本物の煙草ではなくIQOSを吸い、「手もつなげない」ガールズバーがちょうど良いと言う。あるいは、腰を痛めてあまり仕事にコミットできない。智之(松田龍平)は慎二(池松壮亮)の話をすぐに煙たがり、彼と真摯に接そうとしない。看護師である美香(石橋静河)は患者が死んでも全く心が動じず、また、風俗やキャバクラではなくガールズバーという水商売の中では一番客と(物理的/精神的問わず)密に接する必要がないであろう副業をしている(彼女の飼っている亀の水槽の中の温度は外の気温とは関係なく常に一定に保たれている。さながら死者や他人に興味がない美香そのもののようだ)。慎二は左目がほとんど見えず世界を半分しか見ていない。さらに、すぐに無駄なことを喋りすぎてしまう癖があり、その場における物事の本質が見失われてしまいがちだ(作中で彼らが食べるのは工場で大量生産された冷凍食品。これも世界との隔たりを感じさせる象徴的な物のひとつ。美香の実家でも冷凍食品が登場する)。美香の「恋愛をすると人は凡庸になる」という台詞にもあるように、彼らのそうした「フィルター」は恋愛を通して消えつつある。美香に恋をしてからの慎二にかつての能弁さはない。美香はガールズバーを辞めた。岩下は仕事に支障が出るくらい腰が痛かったはずなのに、コンビニの女の子に会うためにダッシュで飛んでいく(この時点では痛みは完全にないと考えたい)。岩下は最終的には女の子に振られ仕事も辞め、腰の痛みは続いているようだが、どこか希望を見つけたような顔で街を歩いて行く。慎二とアンドレス(ポール・マグサリン)の前を去るときに開いていた彼のズボンのチャックに前半で開いていたチャックとは別の意味を求めるのは穿ちすぎているだろうか。すなわち、かつては「手もつなげない」ガールズバーの女の子で満足していた岩下が、コンビニの女の子に恋をするようになり、世界とコミットし始めたということの象徴だ。ズボンのチャックは「社会の窓」と言うではないか。新宿や渋谷の路上で誰ひとり立ち止まらなくても歌い続け、最後にはCDデビューを果たした弾き語りの女のように、「幸せ」が何なのか分からなくても世界とコミットすることでもしかしたら何かが変わるかもしれない。

一方、智之は、美香とメールのやりとりをしていた際に「応援する」と言った慎二に対して彼を「友達」だと言い、初めて慎二を受け入れた(世界とコミットした)かのように見える。しかし、最終的に智之は死んでしまう。彼の部屋に貼ってあった美香とのツーショットで彼は美香の(向かって)左側に位置している。しかし、この映画では(向かって)右側が正しい位置であるとされる。慎二は必ず美香の右側にいなければならない。岩下と智之と三人で美香の勤めるガールズバーに行った帰り、渋谷の路上で偶然美香と遭遇してその後階段で話をするという二人のほぼ初めて対話のシーンからして慎二は右にいるし、病院の喫煙所で美香の左にいた慎二は自ら右に動き、そうではないと駄目なのだと言う。慎二の部屋で彼のVANSのスリッポンは美香の靴の左側(つまり、向かって右側)にある。エンドロールでは美香役の石橋静河と慎二役の池松壮亮の名前は横に並べられ、池松はもちろん右側だ。写真の中で左側にいた智之や慎二の左隣の部屋に住んでいた老人は死ぬし、大音量で音楽を流している部屋の左隣の部屋にいるサラリーマン(就活生?)がその右隣の部屋の壁を叩いても無視される。部屋を出て直接右隣の部屋に抗議しに行っても良さそうなものだが、そうすることは遂にない。左側が右側にアクションを起こすことはあってはならないことだからだ。であるから、左にいる智之による右にいる美香への恋心は仮初めのもので、本気で世界にコミットするようなものではなかったのではないか。中途半端な恋慕で美香と交わった(ここでは性交を意味しない)智之はこの作品に横たわる左右の関係性によって殺されたのだ。

 (参考になった学部の先輩のレビュー)

https://tana-station.tumblr.com/post/161469412935/藍と人生ーー映画的詩的に完璧な夜空はいつでも最高密度の青色だについて

tana-station.tumblr.com