8/31

午後からのアルバイトのために昼頃に起きだした。この日はそれまでの8月とは明らかに違って、湿度が低く気温が低い秋の訪れのような日だった。家を出た瞬間に嗅ぐことになった今年はじめての秋のにおいにかなりテンションがあがる。人と共有できる感覚かは分からないがとにかく気分が良かった。長袖の着用も最高。アルバイト中、お客さんが入って来ることで新宿通りに面した自動ドアが開くたびに秋のにおいが店内に入ってきて、わくわくした。夜に後輩の家でゴダールの映画を2本見る楽しみな予定もあったので、ずっとにやにやしていた。8月の最後の日にこんな素敵な日があるなんて。 アルバイトが終わって吉祥寺駅で先輩と後輩と合流。先輩はこんな日の夜に一緒にいられて嬉しいと言ってくれた。それはかなり嬉しかった。後輩の家へ。まずは『アワーミュージック』を見る。一つ目のチャプター、現代音楽が流れる中での戦争の映像のモンタージュが良かった。ゴダールが唐突に音楽を止めるだけで気持ちいい。休憩として『ピカチュウのなつやすみ』を鑑賞。上下の移動にあまりにも敏感、あれこそ映画だった。マタドガスイワークが他のポケモンと比べてあまりにもサイズが大きく、そのサイズ感だけで気持ちいい。最後に見た『ウイークエンド』は本当に良かった。人と見ていたからだけど何度も「すごい」と口に出してしまった。見終わった時間はちょうど4時44分だった。

9/1

昼前頃に起きだして3人で駅前の武蔵野文庫という喫茶店へ。道中、小学校の前を通る。今日から学校が始まるんだね、なんていう話をしたけど今になって考えてみるともっと早く授業が始まる小学校もあるはずだからあの小学校がどうだったかは分からないなと思う。それでも9月の始まりの日の朝に吉祥寺の町を散歩するのは気分が良かった。喫茶店で僕はカレーを、2人はモーニングを注文した。喫茶店を出るとき、入口にジム・ジャームッシュ『パターソン』のマッチが2つ置かれていて、後輩が譲ってくれたので手に入れることができた。映画の公開前に映画館などで配られたということは知っていたがもう手に入らないものと思っていたので幸運だった。帰宅して睡眠。夕方にこまばアゴラ劇場でFUKAIPRODUCE羽衣『瞬間光年』。なかなかハマれず。笑っている人は大勢いた。

9/2

夕方に新宿の珈琲タイムスで時間をつぶし(途中で昨日会っていた先輩と後輩も合流)、新宿武蔵野館で『パターソン』を見る。月曜日から次の月曜日までの、タクシードライバーとその妻の一見変わりばえのないように見える毎日の話。双子や大量に作られた丸い模様があしらわれたパンケーキなど同じように見えて実は少し違うといういくつかのモチーフ。その後ケイズシネマでMOOSIC LAB 2017。『処女について』、『左京区ガールズブラボー』、『BEATOPIA』の3作品。『左京区ガールズブラボー』の壁にLETTING UP DESPITE GREAT FAULTSと書かれた女の子の部屋、最高。同じ映画を見ていた先輩と再度合流しゴールデン街のBarジュールへ。

9/3

無印良品でアルバイト。休憩中DUGへ。友人が働き始めたというがこの日はいなかった。無印良品の新商品「焼きりんごバウム」が非常に美味だった。退勤後に同級生や後輩に呼ばれ高田馬場へ。そのまま終電を逃しカラオケでスピッツ小沢健二フジファブリックなどを歌う。深夜4時頃にカラオケを出て、5時までやっている六本木のかき氷のお店にタクシーで向かおうとするも、この日は前の晩の23時で営業終了とのこと。結局みんなで歌舞伎町の24時間営業のコーヒーショップクールに行き、僕はナポリタンを食べ帰宅。 

9/4

アトリエ春風舎にて、青年団リンク ホエイ『小竹物語』観劇。開場を待つ間、伊藤沙保や『夏のむすめたち ひめごと』で主演を務めていた西山真来がいた。あらすじなどにあまり興味がそそられずそれほど期待しないで見に行ったが、傑作だった。終始笑う。山田百次はすごい。高円寺で髪を切り、阿佐ヶ谷ロフトAへ。楽しみにしていたロロの納涼LIVE。席に着くとやや遅れて僕の目の前にテレビ東京の佐久間プロデューサーが着席。始まる前に観客に白い紙が二枚配られ、それぞれ「夏」で思い浮かぶ言葉と最近流行っているものを書くようにとのこと。第一部では、ロロのメンバーが大喜利形式で、観客から集めれた紙に書かれた言葉とロロのメンバーが事前に考えてきた言葉を組み合わせて、次回の公演のタイトルやロロに変わる新しい劇団名を発表するという企画。残念ながら覚えているものが少ない。森本華の考えた次回公演タイトル「オザケンブザービーター」が一番記憶に残っている。バスケで試合終了の瞬間に得点を決めることをいう「ブザービート」から、劇が終わって暗転するちょうどその瞬間に小沢健二の楽曲が流れる、というものらしい。実現したら僕なら感動する。この日は休憩中などの会場BGMでずっと小沢健二が流れていた。「ドアをノックするのは誰だ?」、「ラブリー」、「いちょう並木のセレナーデ」、「今夜はブギーバック」、「ぼくらが旅に出る理由」。他にもあったかもしれない。第二部ではEMCの江口祐介が登場し。三浦直之と東北でのフィールドワークについての話をしつつ、二人がボーカルの楽曲を弾き語りで披露。江口の、良い曲を書きたいなら海に向かう道中のことを書けばいい、という発言が良かった。不正確だが、「今すぐ良い音楽をつくろう」という歌い出しの曲や「生まれてからすべての午前中二時」というような歌詞が印象に残っている。そして三浦直之が不安定な音程で歌いはじめるだけで泣きそうになる。三浦直之ありがとう。第三部ではついにロロとEMCによるオリジナル曲のライブ。初めに2曲、ロロメンバーのみのSMAPをオマージュした楽曲が披露される。ほとんど歌詞を覚えていないが良かった。亀島一徳が不器用に大声で歌いはじめるだけで感動。その後EMCとロロとのコラボが。「100%未来」、三浦直之の「あの頃の雑誌は埃まみれ 実家のクローゼットのどこだっけ? 君と初めて買った雑誌 確かカンニング竹山が表紙」のシャウトで完全に涙が分泌。

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最後に披露された「ミーツミーツミーツ」は本当に幸せな曲すぎて一番の涙が。明るい場所だったし一人だったので恥ずかしくてこぼれないように堪えた。三浦直之は現代の小沢健二だ。今年の3月にやっていて予定が合わず行けなかったパルテノン多摩でのライブで初めて披露された曲らしい。早く音源化を。ライブ中に佐久間プロデューサーが手拍子をしたりリズムにノッたり歌詞を口パクしたりしている様子が後ろから見えてグッと来た。かなり良い日だった。

 9/5

バンドの練習以外記憶なし。レオス・カラックス汚れた血』を見たことはわかる。

9/6

バンドの練習以外記憶なし。黒沢清ニンゲン合格』を見たことは分かる。

 9/7

バンドの練習。その後アルバイト。

9/8

バンドの練習。その後アルバイト。アルバイトの後に押見修造『血の轍』1巻、『ハピネス』6巻、つくみず『少女終末旅行』5巻を買う。最近知り合った女の子と下北沢THREEへ。JAPPERSとすばらしかのライブを見た。終電で帰宅。

9/9

京王線布田駅近くのレコーディングスタジオにて朝10時からバンドのレコーディング。ドラムが9曲、ベースも4曲くらいは録り終えた。

新宿でバンドの深夜練習をして午前6時台に帰宅。駅から家までトーキング・ヘッズを聞いた。妹の部屋から最近拝借した目覚まし時計の導入により昼より前に起床することに成功。ダニエル・シーザーの新譜を少し聞いたりインターネットに励んだりしているうちに昼過ぎになった。新宿バルト9での『ベイビー・ドライバー』を予約して小田急小田原線各駅停車で新宿に向かう道中に眠ってしまい、起きたら同じ電車が逆方向・小田原方面へ発車しようというところだった。すでに映画がはじまる時間だったので観ることを諦めた。バルト9のKINEZOは事前決済だけでなく劇場での支払いも可能なのでお金は無駄にしていない。やることがなくなった。先輩に電話してみると人のいない大学でひとりで、撮影予定の映画のロケハンをしているとのこと。よい回答。夜に、いつの間にか前売り券が完売していたナカゴー『地元のノリ』をキャンセル待ち狙いで阿佐ヶ谷に見に行く予定だったので、阿佐ヶ谷に近付いて暇をつぶそうと中野に訪れる。まんだらけの100円コミックの棚で安野モヨコ『エンジェリック・ハウス』、藤原カムイ『デジャヴ』、やまだないと『家族生活』を買う。やまだないとはまともに読んだことがなかったが、帯によると掘禎一が寄稿しているとのことなので三冊で200円のうちの一冊とする。ショーケースに跋折羅の5号と8号が飾られていたがともに400円。その値段で飾る必要はあるのか。8号に至っては店内の棚にも普通に並んでいた。跋折羅の持っていない号や螺旋などが置いてあれば買いたかった。同じくショーケースに西野空男四コマ漫画集『幸福番外地』があり、買う。漫画雑誌『架空』を創刊した人物。『幼年クラブ』以外にも単行本があったのか。タコシェで宇曽川正和の短編集『HAND CLAP STORY』を買う。以前から販売されていた「ある」、「サイコロ・モーターズ」、「蟹だけが死んだ」の三編に新規の短編を二作追加してまとめたもの。以前に出ていた三編はどれも持っていたが。「蟹だけが死んだ」は2016年に著された漫画のでも最も優れた、本来であれば漫画をこのむ全員が読んでいるべきである一作。中野サンロードのくれない茶房という喫茶店(焼きあんぱんの美味しいよいお店)で『HAND CLAP STORY』収録の新作短編「出来事」を読み、脱帽。ワイルダー『わが町』よりも雄弁に語られる日常の尊さ。既読の「蟹だけが死んだ」も、読み返すと改めてその豊潤さに気付く。『幸福番外地』も読む。工場勤務で同僚から疎外されている孤独な男を描いた連作ものの四コマ漫画で、オチのようなものはない。が、味わい深く心に残った。各コマの横に対訳として台詞や書き文字の英語訳が書かれるのだが、作中二度出て来る「A」という人物が「Gershwald」という人名?に訳されていた。この単語を調べてみても全く目ぼしい情報が出てこず、いったいどういう由来なのかと不思議に思う。著者略歴に「現時点で『海辺の叙景』に最も近付いた"つげ義春以後"の一人」と書かれていて少し笑った。阿佐ヶ谷に着き、アートシアターかもめ座へ。『地元のノリ』のキャンセル待ち番号2番をもらう。思いがけずゼミの先輩に遭遇。キャンセル待ちの時間、劇場近くの裏路地に座り込んでザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートの新譜を聞きつつ『HAND CLAP STORY』の残りを読み返す。幸運なことに立ち見でもなく入ることが出来た。劇は前半が面白く後半が微妙だった。全体としては面白かったのだが、いちばんの山場に登場する偽の松岡修造役の俳優があまりハマらず。篠原正明が舞台にいる時間がもう少し長くあってほしかった。チラシで東葛スポーツが次回のテアトロコントに出ることを知る。帰路の電車と家で今日買った『家族生活』を読むも、それほど面白くなかった。途中まで見ていたゴッドタンのスペシャルを途中からまた見た。

ハイバイの製作に応募してみたのと、ハイバイ『ハイバイ、もよおす』と範宙遊泳『その夜と友達』を見て、『20センチュリー・ウーマン』が良かった、とか。平田オリザ原作の深田晃司監督『さようなら』は序盤のロボットが街を走っているあたりくらいしか良いところがなかった。ピンク色のコンバースを買った。

(劇)ヤリナゲ、マームとジプシー、ナカゴー、小沢健二、それ以外のこと

しばらく書いていなかった。ダヤニータ・シンの写真展、駒場公園で花火、坂元裕二是枝裕和トークイベント、アート・リンゼイジム・オルークの来日公演、山田由梨とトミヤマユキコのトークイベント、フジロックなどがあった。演劇は青年団『さよならだけが人生か』、玉田企画『今が、オールタイムベスト』、虚仮華紙×劇団森『ドキュメンタリー』、鳥公園『「すがれる」20122017』、ゲッコーパレード『アラビアン・ナイト』、ヌトミック『何事もチューン』、(劇)ヤリナゲ『預言者Q太郎の一生』、マームとジプシー『あっこのはなし』、赤堀雅秋作・演出『鳥の名前』、新聞家『白む』、ナカゴー『ていで』、マームとジプシー『夜、さよなら/夜が明けないまま、朝/Kと真夜中のほとりで』を見に行った。DVDで青年団『火宅か修羅か』を見て、YouTubeで5月に見た範宙遊泳の『タイムライン』をもう一度見て感動した。

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(二本立ての公演。一つ目の『宇宙冒険記6D』が終わってから43:39頃に三分間のカウントダウンが始まり、その後に始まるのが『タイムライン』)

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最近見た映画では想田和弘『演劇1』、ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』、堀禎一夏の娘たち ひめごと』、ルネ・クレール『幕間』が良かった。


 (劇)ヤリナゲは初めて見る劇団で、フライヤーのデザインが気に入ったのとサークルの先輩二人が見に行っていたのもあって、時間があったので見ることにした。さいわい当日券もとれた(演劇で当日券がとれなかったことがない)。会場はこまばアゴラ劇場駒場東大前の街がほんとうに好きだ。駅の東口を出て劇場まで向かうときに最初に歩く線路沿いの一本道とか、そこから右手に階段を降りていって学生街に入り、劇場までにあるカレー屋とか美容室とか、劇場をすぎたところにある高架下の雰囲気とか、坂が多いところとか。駒場東大前には何度行っても感動するので、できることならすべての演劇がアゴラ劇場でやってくれたらいいのにとすら思うこともある。この日、(いつもの様に)開演を待って席に一人で座っていると、「お隣いいですか?」と声を掛けてきた同い年かそれより下に見える女の子がいた。別に隣に荷物は置いていなかったし、演劇を見ていて今まで隣に座っていいか尋ねられることなどなかった(多くの場合が自由席だし)ので少しびっくりした。断る理由など特にないので承諾する。よく見るとその女の子はかなり可愛くて、しかも服が微妙なラインのダサさなのが良かった。上演中、誰よりも大きい声で笑っていたのがさらに良い。顔が可愛くて小劇場の演劇を一人で見に行くような女の子ってすごすぎる。終演後に受付で上演台本を買って外に出ようとすると、向こうから件の女の子が歩いてきて目があい、かなりドキドキした。現実は映画でも小説でもないので、その女の子と何かあるというようなことは一切なく、女の子は裏から出てきた俳優たちに話しかけに行くところだった。演劇関係者なのだろうか。僕はなんだか気持ちが落ち着かず、駒場東大前からの帰りの電車を池ノ上で降り、下北沢まで一駅分歩いた。夏の始まり、あるいは終わりみたいな日だった。


マームとジプシー『夜、さよなら/夜が明けないまま、朝/Kと真夜中のほとりで』は本当に傑作だった。今回の埼玉芸術劇場での公演はこれと『あっこのはなし』しか見られなかったのだが、マームとジプシーはこんなに良かったのか。マームは数えるほどしか見たことがなく、良いとは思うけれどなんとなくお洒落なのが鼻につく部分もあった。(作家と作品は切り離して考えるべきかもしれないが)藤田貴大のエッセイ『おんなのこはもりのなか』を読んで、藤田貴大の人間性が少し嫌になり、ともすればマーム自体を嫌いになりかけた(大袈裟かもしれないが)。しかし、夜三部作を一本に編集した今回の上演でそんな考えは吹き飛んだ。音楽がまず良い。僕が分かったのは湖へ続く道のシーンから流れて、その後の駅のシーンでボーカルが入ってきたmúmの「Green Glass of Tunnel」だけだったのだが(ボーカルの入ってきた瞬間に涙が出そうになった)、他にはAphex TwinBoards of Canadaも使われていたようだ。

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天井からの照明が照らす箇所が横に移動していくことで表される電車の走行とか、舞台左奥に置かれた小さなテレビの画面に映された電車の車窓から流れる草原の風景とか、終盤の照明によって豊かに表現された湖の水のたゆたう様子だとか、それら細部によって補強された物語は、その全貌を100%理解することはできないながらも(僕の頭が悪いだけかもしれないが)あまりにも美しくて悲しい。いなくなってしまった「K」への「あの頃私たちはセーラー服を着てたんだっけか?」という問いかけは個人的に白眉の台詞(全く文脈は違うけれど、このシーンで売野機子売野機子のハート・ビート』収録の「イントロダクション」における

20年前は…セーラー服だったね

という台詞を思い出した)。


ナカゴー『ていで』のタイトルは「〜の、体(てい)で」という意味で、作中には幾度にも渡ってこの言葉が登場することになる。地毛の「ていで」カツラをかぶ一級建築士の話、レバニラ炒めを作れる「ていで」厨房に立つ、船に乗った「ていで」自転車に乗ると怪我をする、ナンパした女性は由美かおるだ!という「ていで」話す、等々。あるいは「ていで」という言葉にはならずとも、「ていで」というモチーフ、つまり「何かを演じる」・「何かのふりをする」というモチーフは他にも数多くあらわれる。まずは冒頭、勘八の元カノ(幽霊)が観客に対してあらすじを語り始める。舞台上には勘八も座っているのだが、彼は元カノの話に耳を傾けたり元カノの方を見たりする様子を見せない。元カノは、勘八は自分のことや声が見えない・聞こえないふりをしているだけだと言う。勘八はそういう「ていで」いるということなのだ。その後出てくるのは、多恵という人間のふりをしているハクビシン、化粧品によって30代のように若々しく見えているが実は80歳の女将 一月、100円玉を耳にはめて死んだ勘八の父の真似で話し始める恒彦など、最初に提示された「ていで」を丁寧に守った人物たちだ。歩実の浮気相手であるロジャーは、物語のレベルで見れば何のふりもしていないが、ロジャーという外国人男性役を演じるのは明らかに女性でかつ日本人にしか見えない土田有未であり、メタ的なレベルで「ていで」を実行している。冒頭で幽霊が観客にこれからこういうことが起こりますとあらすじを語ること(観客に話しかける幽霊は、チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』を思い出させる)、いかにも演技くさい多恵の話し方や、どこかで見たことのあるようなステロタイプな表現(何かが起こったあとワンテンポあいたのちその場にいる全員が笑いだす、勘八が恒彦を羽交い締めにして頭を拳骨でぐりぐりする等)、恒彦がめくって登場する舞台後ろにある暗幕など、作品を構成する諸要素で本作『ていで』は「演劇」というリアルの「てい」で作られたフィクションであるということが執拗に明示される。客入りの段階では舞台上で役者が二人ずつ交代で登場して劇中に出てくる台詞の断片を披露していたのだが、これも同様の機能を果たす。恒彦が自分の嘘(自分の浮気相手は由美かおるだということ)を他の人物に一向に信じてもらえずに叫んだ

映画かこれは?主人公の話を誰も信じない!

という台詞は、極めて『ていで』という作品への自己言及的だ(「映画か?これは」つまり、「フィクションか?」という意味において)。しかし以上のような小難しいことは全くどうでもよく、ただ演劇そのものを皮肉った面白おかしいお話です。それにしても田端菜々子という女優はちょっと可愛すぎる。


フジロックには人生で初めて行った。2日目、3日目に行ったのだが、2日目はほとんどずっと雨が降りっぱなしで僕の持参したペラペラのレインコートでは全く太刀打ちできなかった。気温も低くかなり辛かったが、小沢健二のライブを見られたので満足。小沢健二のライブを見るのは去年の「魔法的」ツアー以来二度目で、前回と同じように今回も号泣してしまった。前回は泣いてしまったけどさすがに今回はもう泣きはしないだろうな、と泣く2秒前まで思っていたが、いきなり「今夜はブギー・バック」だったのだから泣くに決まっている。何度も聞いてカラオケでも歌ったあの曲が目の前で演奏されている(しかもスチャダラパーもいる!)のだ。その後、「流動体について」の最初のストリングスが4回繰り返され、そのまま「流動体について」がはじまるのかと思いきや披露されたのは「ぼくらが旅に出る理由」。ミュージックステーションに出た際に「流動体について」と共に歌われた曲だ。

www.youtube.com『超LIFE』でホーンのように上下に動くアレンジを指定されたとアレンジャーの服部隆之が語っていたストリングスの旋律が、音源に忠実に音源と同じように鳴っているということだけで感動。スクリーンに表示された

美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間 せつなくてせつなくて胸が痛むほど

という歌詞を直視してその意味を反芻しながらまた感動。その後も名曲が続いた(評判の良い「飛行する君と僕のために」はあまり好きになれないのだが)。「愛し愛されて生きるのさ」の、

ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさ けどそんな時はすぎて大人になりずいぶん経つ

の部分の歌詞を

月が輝く夜空が待ってる夕べさ 突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ そんな言い訳を用意して君の住む部屋へと急ぐ

の部分と順番を入れ替えて後に持ってきて、その部分をギターと観客のシンガロングだけにするというアレンジは天才。「ナーン」がカタカナなのも、「そっと手をのばせば僕らは手をつなげたさ」という過去の振り返りの仕方も、「ずいぶん」という表現も、この部分のすべてが好きなのだ。

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その日の夜には2ステージ目として弾き語りのライブがあったのだが、寒さと疲労、それと会場からレンタカーを停めていた駐車場へのシャトルバスの最終便の時間もあって、途中で抜けてしまった。抜けた後に大好きな「天気読み」をやったらしく、悔しい。3日目はReal Estateを寝過ごして見られなかったのが心残り。


ビッグコミックスペリオール浅野いにお『零落』の連載が終わってしまったのが残念。『零落』と押見修造『血の轍』という二大新作によってスペリオールはあまりにも強い雑誌になってしまったと思っていたのだが。3月に旅行したタイの空港で数時間暇になりKindleに『零落』の第一話をダウンロードして空港のスターバックスで読んだのが懐かしい。

『Seventh Code』について

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映画『Seventh Code』はもともと前田敦子の楽曲のミュージックビデオとして黒沢清の監督のもとに全編ロシアで撮影された60分の短編。


塩田明彦は『映画術 ― その演出はなぜ心をつかむのか』の中で次のように語っている。

映画が本当に面白いのは(中略)上辺で語られている物語がある一方で、それとは別の次元で、もうひとつの物語がスタイルとして語られているからです。(中略)語られている物語に対して複数の次元を作り出していく、それが映画における演出というものです。そうやっていくつもの水準で語っていくことによって、映画はある「豊かさ」を獲得していきます。そういう映画こそが、世代や国境を越えて残っていくわけです*1

秋子(前田敦子)と松永(鈴木亮平)が松永の自室で死闘を繰り広げるシーンには、まさにこの言葉にあるような映画の「豊かさ」がある。

路上で再開した秋子をマンションの二階の自室に招き入れたあと、誰かから電話がかかってきて秋子をおいて一度階下の部屋に降りる松永。松永はそこで組織の女性と思われる人物から秋子を殺すように言われ、スタンガンを持って自室に戻る。すると秋子の姿がなく、松永は自室の中を歩きまわって秋子を探す。少しずつ奥の部屋へ向かう松永。この時カメラは松永の視点と完全に同一化している。塩田は『映画術』の中で成瀬巳喜男『乱れる』(1964)における「ひとつ屋根の下に暮らす家族の、平凡な日常の光景*2」である夕食の時間の姉と弟のシーンについて、

物語のレベルでは、特に大変なことが起きているわけではないんです。なのにハラハラするのは、別に閉める必要もない襖を、姉が無意識にどんどん閉めていくため、二人が徐々に密閉空間に追い込まれていくからです*3

と評しているが、徐々に奥へ奥へと移動し秋子を探す松永のこの移動シーンにも、これと同じような緊張が持続する。
そして、寝室にて松永はようやくベッドの端に腰掛けている秋子を見つける。ある程度のあいだ「不在」として宙吊りにされていた秋子がここで発見されることに、私たちはしばしのカタルシスを得る。秋子はカメラに対して左斜め前を向いており、こちらに顔は向けていない。松永が近づくにつれてこちらに顔を向ける秋子。音楽も音もなく両者の視線だけで描かれるこのシーンではさらなる緊張が走る。松永はおもむろに秋子にスタンガンを当てようとするが、つぎの瞬間、秋子は身を翻してスタンガンを避ける。松永の手を掴み身体を柔道のように地面に叩きつけ、身体に蹴りを入れる秋子。「不在」が解決されてカタルシスが生まれた直後に新たな緊張が生じ、さらに、ここで最大のカタルシスが発生する。それはただ単に松永に反撃する秋子という図によるものにとどまらない。東京で一度会っただけの男に会うためにはるばるロシアまでやってきて、しかもその地で無一文となってしまったという奇矯な人間かつ弱者として当初から描かれ続けていた秋子が、実はどうやらそうではないらしいという大いなる逆転がこの一瞬にして行われるのだ。少し先に至らなければ秋子の正体は完全には判明しないが、この時点でのカタルシスは圧倒的だ。その後、秋子と松永の死闘が繰り広げられる。
ピストルまで持ち出した松永に対して終始秋子の優勢に続くこのアクションシーンの最後は、秋子が松永を殺すことで終わる。秋子は気絶して床に伏した松永の頭部にクッションをあてがい、その上から垂直にピストルを放ち松永を殺してしまうのだ。クッションからは羽毛が飛び散る。先に記したように松永がマンションの二階の自室から一旦階下の部屋に降り、もう一度自室に戻るという垂直運動があった。その際に松永は女性から秋子を殺すように言われたのだった。その後に描かれたのは秋子を探して徹底的に横に移動する松永。そして最後に、秋子を殺すはずだった松永がピストルによる上から下への垂直運動でかえって殺され、直後に羽毛が下から上へ飛ぶ。縦移動が「殺し」というファンクションを帯びて横移動に進み、最終的には「殺し」が逆の形で顕在化して縦移動に解決するのだ。横の移動から縦の移動に解決されるという一連の流れは、黒沢清の最新作『ダゲレオタイプの女』で、それまで徹底的に横に移動していたカメラがヒロインのマリーが階段を垂直に落下するシーンを不気味に映したことを思い出す(蓮實重彦はこのシーンについて「女が階段から垂直に転落すれば、幽霊になるに決まっている*4」とコメントしている)。また、羽毛についてだけ言えば、ジャン・ウィゴによる『新学期 操行ゼロ』(1933)における、寄宿学校の寮生たちが部屋中に羽毛を撒き散らす最も印象的かつ美しいシーンをも想起させる。
しかし、それよりもここには、フローベールボヴァリー夫人』の冒頭に描かれた以下のシーンにおける「描写の産出性」と似たものを感じざるを得ない。

その帽子は卵型で、鯨のひげの芯で中ほどが膨らんでいたが、まず腸詰状のものが三重にぐるりと縁をめぐり、次にビロードとウサギの毛皮の菱形模様が赤い筋をはさんで交互に並び、それから袋状にふくらんで、しまいには厚紙でつくった多角形の様相を呈し、そこに複雑なリボン刺繍が施されていて、そこからやけに細くて長い紐が垂れ、その先に留め紐の房のつもりか、金糸を撚った小さな十字形がぶらさがっていた。帽子は新品で、庇が光っていた。/「起立」と教師が言った。/新入生は起立し、帽子が落ちた*5

新入生(シャルル)の帽子が下から上へ描写され、帽子の先からは上から下へ糸が垂れている。その後シャルルが下から上へ起立すると、帽子が上から下に落下する。下から上、上から下という描写が、次に続く同じ移動を産出しているのだ。なぜ松永の自室はマンションの一階ではなく二階でなければならなかったのか。なぜ松永は立っている状態ではなく床にうつ伏せの状態でピストルによって殺されなければならなかったのか。松永の上から下、下から上への移動が、ピストルの上から下への弾道とそれにともなう下から上への羽毛の動きを産出したのではないか。
以上のように秋子と松永の繰り広げる以上の一連のシーンは、「語られている物語」の外部にある「複数の次元」によって非常に「豊かさ」のあるものとなっている。塩田が「映画は、アトラクションでしかない場面と、重要な芝居の場面があるわけじゃなくて、すべてが重要なわけです*6」とも語っているように、アクションシーンでさえも自身の「豊かさ」を担保するものとして極めて重要であるわけだ。

*1:塩田明彦(2014)『映画術 — その演出はなぜ心をつかむのか』イースト・プレス

*2:注釈1に同じ

*3:注釈1に同じ

*4:映画『ダゲレオタイプの女』公式サイト(2015)
<http://www.bitters.co.jp/dagereo/comment.html>

*5:ギュスターヴ・フローベール,芳川泰久訳(2015)『ボヴァリー夫人新潮文庫

*6:注釈1に同じ

6/22

iPhone修理のため渋谷のAppleStoreを予約していたが遅刻しキャンセルとなった。その後アルバイト。アルバイトに関する記憶は一切なし。

6/23

前日に続き渋谷に訪れる。iPhoneの本体交換で莫大なお金を失って悲しくなった。それと関係あるかは分からないが、その後体調をくずす。

6/24

サークルの新入生の発表ライブ。コピーのPavement松任谷由実はっぴいえんども、それからオリジナルもすごかった。Pavementではこの前の春合宿で僕がコピーでベースを弾いた「Spit on a Stranger」という曲もやっており、僕たちのコピーと比べてあまりにも完成度が高くて驚いた。2ndアルバム『Crooked Rain, Crooked Rain』からの曲もやっていたみたいだが、世間的には評判の高いこのアルバムが僕には何故だがあまりしっくり来ず、『Brighten the Corners』とか『Terrot Twilight』ばかり聴いている。ライブ後には16時頃から22時頃まで鳥貴族でまったくお酒を飲まずに打ち上げをした。友人が渋谷の街でハンドスピナーを買ってきてその6時間くらいの間ずっと回し続けていた。

6/25

アルバイト。休憩時間に仲の良い社員と新宿の靖国通りに面している「ゲウチャイ」というタイ料理屋へ。マームとジプシー ひび『ひびの、ひび/3×3=6。9月じゃなくて』を一緒に見もした仲だ。以前にも二人で訪れたのだがその時にはランチタイムが終わっており、その後ランチタイムを経験したこの社員と共に僕は初のランチにチャレンジ。鴨肉入り特製スープビーフンのランチセットを頼む。アイスコーヒーと唐揚げ?とレッドカレーとデザートとして謎の白い液体(中にタピオカやコーンが入っている。あとから調べたところココナッツミルクらしい)もついてくる。

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麺の太さが選べたので一番太くしてみたところ(10mm)なかなか箸に引っかからず食べるのに時間がかかったけれど、とても美味しかった。しかしなんといってもカレーの味は格別。夏はカレーが食べたくなる。次に来たらカレーがメインのセットにしよう。

6/26

授業で贅沢貧乏の「家プロジェクト」の映像を少しだけ見せてもらった。贅沢貧乏は映像を発売していない劇団だし「家プロジェクト」は見たかったとはずっと思っているのだが見たことがなかったので、少しだけでも映像が見られたことにまず感動。何の変哲もないアパートの一室で、僕が今まで想像していたよりもずっと観客と近い場所で芝居をする俳優。本当に面白そう、本当に見たかった。そして映像の途中でアパートの外から救急車のサイレンの音が聞こえてくる。劇場でやる通常の演劇ではまずあり得ない外からの意図せぬ要素が演劇に入り込む。そうした「街」の要素がひとつの演劇の世界を形作っていることにさらに感動してしまって、サイレンの音がなった瞬間に一瞬泣きそうになってしまった。僕はよく分からないところで泣きそうになるところがあって、例えば先月のナカゴー『紙風船文様』で夫役の古関昇悟が妻である川上友里に「良かろう」、「それも良かろう」という言葉遣いをするところになぜだか涙腺をくすぐられた。この授業では後期に一学期通して贅沢貧乏を扱うらしく、そこでまた「家プロジェクト」の映像が見られないかなと期待している。そういえば、ゲッコーパレードが今週鹿児島のホテルでやる『ここだけの話』という演劇も「家プロジェクト」と似ていて面白そう。ホテルのチェックインから翌朝の朝食会場までが演劇の舞台で、観客は実際にそのホテルに一泊二日で滞在して演劇の世界に入り込むというものらしい。行くことが出来ないのが口惜しくてならない。帰宅すると『ゲンロン』の第5号が届いていた。特集は幽霊的身体。演劇批評の号だ。別役実『壊れた風景/象』を読み始める。 

 

上記のうちのいつの日だったか忘れたが真造圭伍の短編集『台風の日』を途中まで読んだ日があった。そのあまりの面白くなさにちょっとびっくりした。真造圭伍を読んだのは初めてだったが(雑誌『ユースカ』に掲載されていた短編は読んだことがあったかもしれない)、どこに面白みを見出せばいいのか分からない。美大出身だというその絵も稚拙は措いて、全く魅力的じゃない。あるいはいつだったかの「このマンガを読め!」のオトコ編で1位だった『ぼくらのフンカ祭』だとか何巻か続いている『トーキョーエイリアンブラザーズ』は面白く読めるのだろうか。とにかくどうして真造圭伍が評価されているのか分からなかった。

6/18

昼に起きてそのままアルバイトをして寝た、と思う。アルバイトの休憩で久々にDUGに行った。煙草とコーヒーとほんの小さなミートパイで気分はワタナベトオル。ワタナベトオルが煙草を吸っていたかどうかもDUGでミートパイを頼んでいたかどうかも覚えていないが。バド・パウエル・トリオの「There Will Never Be Another You」が流れていた。「あなたなしでは」という邦題はすごい。

6/19

授業で、青年団リンク ホエイ『麦とクシャミ』を途中まで見た。耳が遠い、という人物が出てくるのだが、読みかけの三好十郎『浮標(ブイ)』でも耳が遠い人物が出てくるので奇妙な親和があった。見終えたあと戯曲のコピーをもらう。一応売り物ではあるから来週各自300円払うようにと先生が言っていた。演劇に関することにはお金を喜んで払いたいものだ。早稲田から渋谷に、そして三軒茶屋へ。三軒茶屋に来たのは二回目だと思う。その時は友人と古着屋を物色した。と思ったが、昨年の今頃に当時付き合っていた彼女と友人と三人で遊びに来たこともあったので三回目かもしれない。シアタートラムでチェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』を見た。昨年の京都公演では上演時間が2時間くらいあったったようだが今回は75分。どう変わったのだろう。新潮の2016年4月号に戯曲が掲載されているようなのでいずれ買おう。青柳いづみの語りが催眠音声に酷似していた。時制がどうなっているのか、ということに言及している感想が散見されたが、語る私と語られる私には距離があるもので、「以前の彼女」の幽霊が語っている過去の出来事を「新しい彼女」が通常知り得ないはずだとしても別におかしくはないのではないか。英語字幕が渋かった。「以前の彼女」の声が聞こえない(聞こえていないふりをしている?)男に、ここでも「聾」というモチーフを見出すのは、牽強付会がすぎるだろうか。舞台が始まる前に駅付近でサンプルの野津あおいを(次の日の『ブリッジ』に出演している)、終演後に森山未來を、見かけた。

6/20

潜っているゼミでは毎週4年生が卒論の草案について発表する時間があり、この日は三好十郎『浮標』の発表だと以前から決まっていた。そのために『浮標』を読んでいたのだが、起きられず行けなかった。これだけ行けないと、やはり正規のゼミ生でなくて良かったのかもしれない。iPhoneが壊れて動かせなくなり、かなり狼狽した。夕方に小田急線や南武線東横線を使用して横浜へ。KAAT 神奈川芸術劇場でサンプルの『ブリッジ』を見た。元々今年の一月に3331 Arts Chiyodaでワーク・イン・プログレス公演として上演された『ブリッジ〜モツ宇宙へのいざない〜』に続く本公演という立ち位置の作品。一月の公演も見にいっていたので楽しみにしていた。『部屋に流れる〜』と同じく白いカーテンを張った舞台。しかしこちらのカーテンは開くこともある。白い幕をたててその向こうで影として映された俳優が演技する、という演出は良かった。性的なシーンをやるのにはうってつけだったし、かえっていやらしく見えた。演劇本編はコスモオルガン協会という宗教のセミナーで、観客はそれを見に来た客という設定。その中でコスモオルガン協会の各メンバーの過去が、観客と演者が相互に「つくりもの」だという認識を共有している「劇中劇」として繰り広げられる。『ブリッジ』の戯曲と雑誌『サンプル』のVol.2を買って帰る。5月に青年団リンク キュイ『TTTT』を見た際にアトリエ春風舎で買った戯曲批評誌『紙背』の創刊号に『ブリッジ〜モツ宇宙へのいざない〜』の戯曲が掲載されているのだが読んでいなかったので、帰りの電車で読んだ。あっと言う間に読み終わる。KAATに来るのは考えてみれば二回目だ。初めてきたときは岡田利規作・演出の『わかったさんのクッキー』を見たのだった。もっと中華街から外れたところにあったと思っていたが、思った以上に中華街に近かった。時間があれば中華街をぶらぶらしたかった。

6/21

未明から、岩井秀人作・演出『その族の名は「家族」』のDVDを見始めた。ハイバイ『ワレワレのモロモロ 東京編』ではあんなにサイコパスな役を演じていた荒川良々が、きわめてまともな役だった。時間を巻き戻す演出はうまく出来ていたけど、それほど何らかの機能を果たしているとは思えなかった。あの裏でそういうことがあったのか、というカタルシスはあった。ユースケ・サンタマリアとと岩井秀人が演じる女性役とはすべて代替可能のように思えた。特殊公演『七つのおいのり』の一つ目、『あなたのために』で岩井が演じるデパートの地下のおばさん店員をユースケ・サンタマリアが演じてみるのも面白そうだ。アルバイトはそれほど楽しくなかった。いつもは楽しいのだが。アルバイトの後に最近入ってきた23歳の男性パートナーと新宿三丁目近くでピザを食べた。建築の道を志しているそうで、建築家の名前を教えてもらったのだが、全く記憶できなかった。僕はコルビジェ安藤忠雄しか知らない。あるいはガウディ。安藤忠雄には髪型が似ていると友人に言われたことがある。多少建築に関係する話題として、「搬入プロジェクト」や危口統之のことを少しだけ会話に出した。

 

5月、6月はかなり頻繁に演劇を見たためお金がかかった。7月はあまり観劇予定がなさそうだから財政が落ち着くな、と思っていたけれど、調べてみたら見たいものがたくさんあったのでまた困窮することになる。玉田企画、範宙遊泳、マームとジプシー、青年団、鳥公園、ハイバイあたりは少なくとも行かなければなるまい。根本宗子や井端珠里白石和彌監督『牝猫たち』ですっかりファンになってしまった)の出演する『鳥の名前』も楽しみ。

最近はThe Banzai Babiesというバンドのアナログが欲しい。Beach Fossilsの新譜は良く聴いている。あとはサニーデイ・サービスの「きれいだね」をしきりに聴いている。V♯が憎いね。


The Banzai Babies - She's A Rainbow


サニーデイ・サービス - きれいだね